道具としてのカメラ その1

カメラの本来の目的は「体験した場面を画像に残して後で見てみんなで楽しむ」ことと定義しよう。場面の感情まで思い起される構図とか人の表情、移りゆく季節が醸し出す風景など、これぞ!という1枚または動画の数秒間を見たときは心地よい感情に包まれるものだ。

道具として見たときのカメラはそういった目的とは別の感情が付いてくる。それは「いつも使っていて心地よいか?」という問いに対する答えだ。愛着といってもよいだろう。今回はこの観点で数回語ってみる。

何故今語るのか?これは自分の物欲君度合を知っている感の良い方々はもう気付いているかと思うが、最近何やらオークションやネットショップで仕入れた諸々の活動をカミングアウトすることに他ならないwww

カシオのQV-10に出会ってその場ですぐに撮った結果を味わえるというデジカメの楽しさにはまってから新製品を触りに量販店のカメラ売り場に足を運ぶというのは物欲年中行事wの1つである。今まで多くのデジカメを所有したが、かみさんが子供の運動会の姿を使える連射で撮りたいという要望を叶えるべく、2015年に満を持して買った初めてのデジタル一眼(ミラーレス)のパナソニックLUMIX G7Hは以下の3点で購入を決めた。
①操作性 ②撮るアクション ③デザイン

①操作性
まず電源の入れ方から始まる。パナソニックのカメラは電源スイッチがおおよそ右手で操作できる範囲に配置されている。撮ろうと思ってカメラを右手で握ったときに右手親指で電源スイッチを操作できる。FUJIやSONYもその配置近いがOLYMPUSやCannonは左側に電源スイッチが配置されていたりして両手が必要となる。この時点でどんなに良い絵が撮れそうであっても片手で起動できないカメラは選択肢から落ちる。
撮影場面に合わせた調整のしやすさもポイントである。露出補正、ズームで画角の合わせ方がスムーズか。かみさんが使うときはワンタッチでフルオート状態になるか。LUMIXのiAモードはまさにこのためにあるような機能だ。

②撮った感じ
携帯するならコンパクトデジカメに勝るものはないし、画素が1/2.3インチと小さくても記録・記憶の満足度には問題なかった。今はスマホがその役目を担っていることもある。では撮った感じとは何か。ずばりメカニカルシャッターの「ガシャン」という音と振動である。コンパクトデジカメにはないこの記録する大げさなアクションが、携帯性を犠牲にしてもカメラを持っていこうという原動力になっている。最新機種はブレを抑えるため撮るときの振動を抑えるように進化しており、この「ガシャン」音が小さく振動も少ない。こうなると逆に心地よくないのだw。逆に発表会や式など音を出したくない場面では無音の電子シャッターも選択できるのもポイント。これはミラーレスの良さかもしれない。
あとはファインダーも撮った感じを醸し出すのに欠かせない。液晶でアングル合わせるのではなく、あの能動的にファインダーをのぞき込むという動作が、いかにも撮ってますという刺激を脳内に飛ばすw。G6の電子ファインダーはきれいだけどピント合ってるか判別不明というストレスがあったがG7はそれを一気に解消してくれた。

③デザイン
コンパクトで軽くできることで定評のマイクロフォーサーズレンズを主体とするOLYMPUSのボディはコンパクトだが、上部のダイアルに書かれているフォントがなぜかスキになれない。NIKKON J1やSONYのα6000シリーズのような真四角な感じも何か質感が違う。LUMIXのG7やGF6以前のいくつかのシリーズの適度な凹凸と丸みのあるデザインがカバンから出して右手に持ったときにぴったりくる。10倍のズームレンズもコンパクトでボディに合っておりこれさえあればかなりのシーンをカバーできる。

さて、こうして気に入って入手したLUMIX G7は子供のダンスとかのイベントの時はフルオート連射モードでかみさんが写真担当で使い、自分は動画担当でビデオカメラで撮影というのがいつもの分担。あるイベントで陣取った場所が舞台から近く、広角40mmのビデオカメラでは全体が入らない時があった。もっと広角欲しいなあ、そういえばLUMIXって動画も評判いいなあ、と思い、かみさん不在で一人付き添いでいったダンスイベントで試しに24mm広角のLUMIX G7で動画撮ってみたらこれが結構いい感じ。今後もこれでいくかと思ったが、かみさんの写真撮影とは同時に使えない。これはどうするかと、メラメラと物欲が湧き出したのでありました。